患者さんの訴えを聞いたり、またこちらから患者さんに口の状態や治療の方針の説明をするときに、本当に理解しあうことは難しいとだと感じます。自分の言ったことが正確に伝わっているかはもちろん、患者さんの言ったこと、とくに患者さんだけではなく、言ってしまえば自分以外の他者からの言葉をちゃんと自分が理解しているのか。この点をはなはだ心もとなく感じています。ここで、いまだ顔も知らぬあなたに向かって、こうして文字をつづっていますが、その内容が完璧にあなたに伝わってる保証などありませんし、そもそも自分の思いをただしく文にすることに困難を感じます。

訳書を多数出している米文学者の柴田元之は、コミュニケーション(ここでは翻訳)というものが本質的に抱えている限界について次のように述べています「…あるいはまた、さらに話をむつかしくして、そもそも翻訳元である原文というものにしても、言語化される以前の「世界」なり「思い」なりを言語に「翻訳」したものにほかならないのであって、いかなる文章も完全な「原文」ではありえないのではないか…」さらに文化人類学者の中村雄介は何かを伝えるためには「会話にせよ読書、執筆にせよ、いかに言葉を尽くしたとしても、結局のところは、お互いにいかに相手の状況を想像するか?ということにかかっている」と述べています。

この文章を読む人をどれほど想像できているのかを問われると、非常に困ってしまいますが想像力をかきたてて、開かれた受容力の高い気持ちでいられることが質の高いコミュニケーションを容易にするのでしょう。